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職人さん紹介Master Profile 001

職方の一人目のご紹介は、カミヤプランニングのサイディング事業の要ともいえる
提携会社・山崎サイディング代表の山崎氏をご紹介。
住宅という仕事に携わって30年。仕事へのこだわり、人との出会い・・・そして未来の職方達への熱いメッセージを語ってくれました。

「仕事」を超える人との出会い。
すべての現場は、「自分の家」と想いを語る。

山崎 秀俊Hidetoshi YAMAZAKI

山崎サイディング会社 代表

自分の基礎をきづいてくれた親方

瓦を扱う屋根師という仕事

三河高浜という瓦の産地で、とにかくお寺の屋根だとか本屋普請(ほんやぶしん)をやってました。当時の親方は屋根屋ではなく、“屋根師”って呼ばれてましたね。親方はこだわりの人だったんで、施工に使う土も泥屋に行って自分で蹴ってみてから「こっちのやつくれ」だとか、「ここらへんくれ」だとか言って直接土を買いに行く。本当にいい土っていうのは、ブルーシートで2ヶ月くらい寝かしておいて、あけてみると真っ黒な土になっていて、それはヘドロ状態ですっごいくさい。でもそれが本当にいい状態で、土台には最適、本当に離れない。

土はおもしろいですよ。土を捏ね、泥上げを繰り返すこと数年。もういい加減仕事もつらい、辞めたい、行きたくないって思ってたある日、突然、「屋根の上あがってこい」って言われたときは「えっ俺」って感じでした。親方に「万十(軒先瓦)つけろ」って言われても「何も教えてもらってねーじゃねーか」って。でも、屋根の上にのって初めて分かったんですよ、土が「こんなシャビシャビだったら平(ひら瓦)葺けんな」とか、触るとわかるんですよ「そんなカチカチだと台面(のし瓦)ものらんわ」とか。僕が初めて屋根の上乗せてもらったときには、親方の捏ねた土がやわらかくて(笑)。親方が台面積んだら、2段目から積ませてもらっていました。平もやらせてもらったし。あんなに嫌だった仕事も、覚えていくと、どんどん面白くなっていったですもんね。

お袋も言った、厳しかった親方への感謝

とにかく親方には殴られる蹴られるで、僕が土泥をのしていると「どけ、邪魔だ」って差金でバチンっとやられてました。叩かれた場所はいつも五分のミミズばれのようになって、紫になって治らんですよ。でも叩かれたのも最初のうちだけですよ。その当時、僕の態度も素行も考えられないくらい悪かった16歳ころの話ですけどね。

この間、その親方が亡くなられて、葬儀に行ってきたんですけど、あんだけ嫌いだったのに親方の遺影みたら泣けてきてね…。「いつか仕返ししてやろう」って当時は思っていたのに、葬儀の時は「本当にありがとうございました」しかなかったですね。死んだおふくろも「おまえはあそこがあったで、まっとうになれただ」「親方のお陰だ」ってよく言ってました。勿論、僕も感謝、感謝です。

神谷社長との出会い

サイディングとの出会い

実は初めての仕事は、中学卒業してすぐの事、校長先生がお世話をしてくれたのにも関わらず、3日で辞めたんです。さすがに親父にぶっとばされると思ったんで数日家に帰れず…。やんちゃ坊主の僕は、何を思ったか、その後に会社に3日分の給料くれって取りにいったんですよ。社長は睨みつけながら7,000円くらいかなぁ…渡してくれました。今なら、僕のところにそういう若者がきたら…って思いますけど(笑)。

その後、瓦を扱うことになって、4年半くらいやりましたね。でも、仲間の先輩から「サイディングって稼げるらしいぞ」って言われて、「じゃいくわ」って感じでこの業界に転職ですわ。それが、20歳くらいの頃かな、業界的にはホントに忙しかったですね。ちょうどバブルの最終くらいですかね。その頃クルマも手に入れて、困ることもなかったし、何も考えなくてよかった…。

こんな社長もいるんだなぁ

当時、いろいろなところを渡りあるいてジプシーみたいだった。いろんな会社や、知り合いの紹介で、日々の仕事をやらせてもらってたんですよ。そんな時、神谷社長(以下社長)と出会う事になるんです。速攻で、そこにおった高木っていう職人さんに「口をきいてくれ」と頼みこんで仕事をやらせてもらうようになりました。社長のところで拾ってもらったんですよ。

僕はこんな社長にあったのが驚きだったもんで、社長にも言ったことあるけど「社長らしくないって言うか、ゴルフにはまることなく、高級車を買うわけでもないし、飲み食いも気前良く出してくれるし」こんな社長初めてだったんです。とにかく、人として信じられる。この社長さんと仕事がしてぇなぁと。そんな感じで、勝手に惚れ込んで、公私共にお付き合いもさせてもらい、社長の紹介で家を建てさせてもらって、仕事も拾ってもらって。社長と泣いて抱き合って、飲んで・・・もちろん、男だもんで全力で仕事して!!の日々を送っています。

仕事に対する姿勢

僕はかわいいから怒ります!

仕事は大変でもやりがいがある。天候にも左右されるし、寒暖にも泣き言も言えない。工期や、現場での対応力も求められます。最近は、縁があれば若い子を育てたいとは思いますけどね。出来ればまっさらな子をやってみたい。若い子を見ていると本当に面白い。可能性いっぱいあるし。ただ僕は、かわいいから怒りますよ。平気で「オメーこのやろうめ!!」っていっちゃいます。それはかわいいもんでね。

若い子には自分でやりたい、自分で作りたいっていう気持ちを持ってもらうことだけじゃないですかね!?「綺麗にできたな」「出来るようになったな」と言葉をかけることによってやりがいを持ってくれたりするので。僕の経験上、親方から任せてもらって、はじめて喜びを感じられるんじゃないかな。「良くできたやないけ」って言われると嬉しいですよね。そんな仕事を通じた信頼関係の延長に、人とのつながりがあるんだと、今は思える歳にもなりました。

家を建てて気づいた、お客様の気持ち

僕らがやっているサイディングという仕事は、家を建てるという行程からいうとほんの一部分の仕事ですけど、お客さんからしたら家の顔でもあるし、安心して永く住む家を守る盾のようなものでもあるでしょ。だもんで、その「顔」や「盾」の仕事をしているという意識を持ってやってるし、自分の家を建てているという気持ちで取り組んでます。僕も家を自分で手に入れて、建てさせてもらったもんで、その時この気持ちに気づいたんですよ。

若い衆が、現場でなんの仕切りも無い端の方までつかつか行ったりすると、「そこ人の土地だからつかつか歩かない!」ということも言うようにしています。漠然としてたら気づかないかもしれないけど、これ自分が買った土地ならぱっぱかぱっぱか踏むか!?っていって気づいて欲しいんですよね

他人に土足で入られると腹も立つでしょ? 普段から口うるさい僕がこれ以上いって嫌われるのも困るので、言い方は考えますけど、親方って本当に嫌われるんですよね・・・(笑)。

編集後記

職人さんは本当にとっつきが悪い。(スミマセン) 眼つきが悪い。言葉もぶっきらぼうで、何だか怖い・・・(ような気がする)眼光鋭い山崎氏もそんな一人かも。

いえいえ、地元を愛するとても笑顔の素敵な職人さんです。仕事の現場では、熟練の技術と経験で繊細かつ大胆な仕事ぶりを発揮する。その熱い男気は仲間を魅了し、気薄といわれる人と人とのつながりや、もの作りへの姿勢を含め、改めて大切なことなのだと再認識させていただきました。

「カミヤプランニングには欠かせられない存在のひとり。」
「山崎さんがいないと、うちはなりたたないですよ!」
「自分達の生命線なので。山崎君たち職人さんがいないと成り立たないですもんね。」
「山崎さんが2人いればなあ・・・」と、社員からの信頼はどこまでも厚い・・・。

職人さん、感謝。

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